音楽の森の奥深く

此処に居るから

虚構と現実

今日、知人の芝居を見てきた。芝居には音響があるので


音楽繋がりでも芝居にかかわってる知人は結構いたりする。


だから見る機会は多いものの、芝居のセンスはないので


芝居の評価をすることはない。寺山修司作品のアレンジ版だった。


「年をとったら、人形と一緒に暮らしたいと思います。
 歌ったり、浴槽に入ったり、ホフマンの童話を読んだり、
 レスボスの果実をむさぼったり、僕の肩を揉んでくれたりする、
 自動人形たち、沢山と。

 パリのサンジェルマン。リュニヴェルシテ通りにある
 小さな人形屋の店先で考えました。
 ぼくは人形となら、うまくやっていけそうだ。
 だが、ぼくと暮らす人形たちは、セルロイドや蝋細工では困る。
 キャロルの写真集に出てくるような、
 血のかよった人形がいいのだ、と。」(寺山修司)


作品とは殆ど関係ないけど見終わって思ったことがある。


嘘を定義づけるのは簡単だ。でも現実の定義って難しいって。


身近な陳腐な事に置き換えてみる。


彼女と居た?何をした?見えないところで誰がどうしてようと


判りづらいけど、本当か否かどうか誤魔化しても直ぐに判る。


だけど心の動きは判らない。複雑すぎるのだ。人間って。


現実として喜怒哀楽は常にゴチャマゼで五感だけでは、はかれない。



人間と繋がり合うのは面倒臭いので人肌の電柱で十分だとよく思う。

それでも我儘なこの心は人の心と触れ合うことを求める。

結局、電柱より嘘つきの人間が好きってことなのかな(≧▽≦)

ちぇっ!


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